はじめに
金融リスク管理において、バリュー・アット・リスク(VaR)は、ポートフォリオが一定期間内に被る可能性のある最大損失額を推定する重要な指標です。VaRの計算方法には、ヒストリカル法とモンテカルロ法の2つが主要な手法として用いられています。本記事では、S&P500の実際のデータを用いて、これらの手法を比較検証します。特に、モンテカルロ法における分布の仮定(正規分布とt分布)がリスク評価に与える影響に焦点を当て、市場ストレス時における各手法の性能を評価します。
対象読者:
- 金融リスク管理の実務家、および研究者
- VaRの計算手法に関心のある方
- 統計的リスク評価モデルに興味がある方
記事のポイント:
- ヒストリカルVaRとモンテカルロVaRの基本的な計算方法と特徴を解説
- 金融市場データの分布特性(正規分布からの乖離、ファットテール)を可視化
- 正規分布とt分布を仮定したモンテカルロVaRの性能を、実データを用いて比較
- 市場ストレス時(コロナショック)における各手法のVaR推定値の挙動を分析
VaR計算手法の基本
VaRは、「一定の保有期間において、一定の確率(信頼水準)で発生する可能性のある最大損失額」を表す指標です。このVaRの計算には、いくつかの方法があります。ここでは、代表的な計算手法であるヒストリカル法とモンテカルロ法について説明し、それぞれの長所と短所を確認します。
ヒストリカルVaR
ヒストリカルVaRは、過去の市場データ(価格変動)を直接利用してVaRを計算します。
具体的な手順は以下のとおりです。
- 過去の一定期間(例えば250営業日)のリターンデータを収集します。
- リターンデータを小さい順に並べ替えます。
- 信頼水準に対応する分位点(例えば95%信頼水準なら下位5%点)をVaRとします。
ヒストリカルVaRの長所は、過去のデータ分布をそのまま反映できることです。つまり、過去に発生した極端な市場変動も、そのままVaRに反映されます。
短所としては、過去のデータに強く依存するため、将来の市場構造の変化に対応できない可能性があることです。
モンテカルロVaR
モンテカルロVaRは、確率分布を仮定し、乱数を発生させてシミュレーションを行うことでVaRを計算します。
一般的な手順は以下のようになります。
- 過去データから、リターンの平均や標準偏差などのパラメータを推定します。
- 仮定した確率分布(例えば正規分布やt分布)に基づき、多数のランダムなリターンを生成します。
- 生成したリターンデータから、信頼水準に対応する分位点をVaRとします。
モンテカルロVaRの長所は、データ数が少なくても安定した推定が可能であることです。
短所は、仮定する確率分布の選択が結果に大きく影響することです。もし、現実のデータと異なる分布を仮定してしまうと、VaRを過小または過大評価する可能性があります。
金融市場データの分布特性
一般的に、金融市場のリターンは正規分布に従うと仮定されることがありますが、実際には正規分布から乖離していることがしばしば観察されます。特に、分布の裾(テール)が正規分布よりも厚い、いわゆる「ファットテール」現象が見られます。
S&P500の日次リターンデータを用いて、この点を視覚的に確認してみましょう。
上図は、2019年から2023年までのS&P500の日次リターンのヒストグラム(棒グラフ)と、正規分布およびt分布の確率密度関数を重ねて描画したものです。
ここから、以下のことがわかります。
- 分布の中心付近では、正規分布とt分布はどちらも比較的よく実データにフィットしています。
- しかし、分布の裾(特に左裾、つまり大きな損失が発生する領域)では、正規分布は実際の発生頻度を過小評価しているように見えます。
- 一方、t分布は、特に分布の裾において、実データにより良くフィットしています。
推定されたt分布の自由度は2.47でした。自由度が小さいほど分布の裾が厚くなるため、この結果は、S&P500の日次リターンが正規分布よりも裾の厚い分布を持つことを示唆しています(逆に自由度が無限大のとき、正規分布に収束します)。これは、金融市場では、正規分布が予測するよりも大きな価格変動(特に下落)が発生しやすいことを意味します。
実証分析の結果
ヒストリカルVaRと、正規分布およびt分布を仮定したモンテカルロVaRのパフォーマンスを、S&P500の実データを用いて比較検証します。
具体的には、VaRの違反率(バックテスティング)と、年別のVaR推定値、さらに市場ストレス時におけるVaRの挙動を分析します。
VaR違反率の比較
各手法で計算したVaRが、実際にどの程度の頻度で超過されたか(VaR違反率)を比較します。
VaRの信頼水準は95%と99%の2つの水準で検証します。
手法 | 95%信頼水準 | 99%信頼水準 |
---|---|---|
ヒストリカルVaR | 5.3% (5.0%) | 1.7% (1.0%) |
モンテカルロVaR(正規分布) | 5.4% (5.0%) | 2.8% (1.0%) |
モンテカルロVaR(t分布) | 6.1% (5.0%) | 1.7% (1.0%) |
※括弧内は理論値
この結果から、以下の点が注目されます。
- 95%信頼水準では、各手法の違反率に大きな差は見られません。
- 99%信頼水準では、正規分布を仮定したモンテカルロVaRの違反率(2.8%)が理論値(1.0%)を大きく上回っています。これは、正規分布が極端な損失の発生確率を過小評価していることを示唆しています。
- 一方、t分布を用いたモンテカルロVaRは、99%信頼水準でもヒストリカルVaRと同程度の違反率(1.7%)を示しており、より適切なリスク評価ができていると考えられます。
年別のVaR推定値
次に、99%信頼水準における各手法のVaR推定値を年別に比較します。
年 | ヒストリカルVaR | モンテカルロVaR(正規分布) | モンテカルロVaR(t分布) |
---|---|---|---|
2016 | -2.639% | -2.235% | -2.799% |
2017 | -1.515% | -1.197% | -1.850% |
2018 | -2.394% | -1.699% | -2.511% |
2019 | -2.901% | -2.228% | -3.096% |
2020 | -5.848% | -4.187% | -6.702% |
2021 | -3.289% | -2.557% | -3.097% |
2022 | -3.137% | -2.749% | -2.982% |
2023 | -2.829% | -2.767% | -2.977% |
2024 | -1.718% | -1.637% | -1.964% |
2025 | -2.244% | -1.798% | -2.527% |
この表から、以下のことがわかります。
- 全体的に、正規分布を用いたモンテカルロVaRは、他の手法に比べて楽観的な(VaRが小さい)推定値を示しています。
- t分布を用いたモンテカルロVaRは、多くの年でヒストリカルVaRに近いか、より保守的な(VaRが大きい)推定値を示しています。
- 特に2020年(コロナショック)では、手法間の差が顕著に現れています。t分布を用いたモンテカルロVaRは、他の手法よりも大幅に大きいVaRを推定しており、より市場の急落を捉えられています。
市場ストレス時の性能
最後に、市場ストレス時(ここでは2020年のコロナショック期間、2月から4月)における各手法のVaR推定値を比較します。
信頼水準 | ヒストリカルVaR | モンテカルロVaR(正規分布) | モンテカルロVaR(t分布) |
---|---|---|---|
95% | -2.140% | -2.293% | -1.577% |
99% | -4.711% | -3.254% | -4.589% |
この結果から、以下の点が重要です。
- 95%信頼水準では、各手法間に大きな差はありません。
- 99%信頼水準では、正規分布を用いたモンテカルロVaRは、VaRを大幅に過小評価しています(-3.254%)。これは、市場の急落時に十分なリスク捕捉ができていないことを意味します。
- 一方、t分布を用いたモンテカルロVaR(-4.589%)は、ヒストリカルVaR(-4.711%)に近い推定値を示しており、市場ストレス時にも比較的良好なパフォーマンスを示しています。
まとめ
本記事では、ヒストリカルVaRとモンテカルロVaRを比較し、特にモンテカルロ法における分布の仮定(正規分布とt分布)がリスク評価に与える影響を検証しました。
主な結論は以下のとおりです。
- 金融市場のリターンは、正規分布よりも裾の厚い分布(ファットテール)を持つことが多く、t分布がより良くフィットする場合があります。
- 正規分布を仮定したモンテカルロVaRは、特に市場ストレス時にリスクを過小評価する可能性があります。
- t分布を用いたモンテカルロVaRは、市場の実態をより適切に反映し、特に市場ストレス時において、ヒストリカルVaRと同等か、より保守的なリスク評価を可能にします。
これらの結果は、「ヒストリカルVaRとモンテカルロVaRのどちらが優れているか」という単純な問いかけではなく、各手法の特徴を理解し、状況に応じて適切な手法と分布を選択することの重要性を示唆しています。特に、市場の急激な変動が予想される状況では、t分布を用いたモンテカルロVaRやヒストリカルVaRのような、ファットテールを考慮した手法が有効であると考えられます。
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