VaRは分布の仮定でどれだけ動くか:モンテカルロ法とヒストリカル法をS&P500で比べる
はじめに
手元のポートフォリオは、明日1日で最悪いくら失うのか。この問いに数字で答える指標がVaR(バリュー・アット・リスク、一定の確率のもとで見込まれる最大損失額)です。計算方法は大きく2つあり、過去のリターンの分位点をそのまま使うヒストリカル法と、確率分布を仮定して乱数でリターンを大量に生成するモンテカルロ法が使われます。ただしモンテカルロ法は、どの分布を仮定するかで答えが変わります。S&P500の実データで検証したところ、正規分布を仮定したVaRは99%信頼水準で実際の損失に超過される回数が理論の3倍近くになり、裾の厚いt分布に替えるとヒストリカル法と同じ水準に収まりました。
対象読者:
- 金融リスク管理の実務家、および研究者
- VaRの計算手法に関心のある方
- 統計的リスク評価モデルに興味がある方
記事のポイント:
- ヒストリカルVaRとモンテカルロVaRの基本的な計算方法と特徴を解説
- 金融市場データの分布特性(正規分布からの乖離、ファットテール)を可視化
- 正規分布とt分布を仮定したモンテカルロVaRの性能を、実データを用いて比較
- 市場ストレス時(コロナショック)に各手法のVaR推定値がどう動くかを分析
VaR計算手法の基本
VaRは、「一定の保有期間で、一定の確率(信頼水準)のもとで見込まれる最大損失額」を表す指標です。計算方法として代表的なのがヒストリカル法とモンテカルロ法で、それぞれに長所と短所があります。
ヒストリカルVaR
ヒストリカルVaRは、過去の市場データ(価格変動)を直接利用してVaRを計算します。
具体的な手順は以下のとおりです。
- 過去の一定期間(例えば250営業日)のリターンデータを収集します。
- リターンデータを小さい順に並べ替えます。
- 信頼水準に対応する分位点(例えば95%信頼水準なら下位5%点)をVaRとします。
長所は、過去のデータ分布をそのまま反映できることです。過去に起きた極端な市場変動も、加工なしにVaRへ織り込まれます。 短所は過去データへの依存で、市場の構造が変わると推定が追いつかないことがあります。
モンテカルロVaR
モンテカルロVaRは、確率分布を仮定し、乱数を発生させてシミュレーションを行うことでVaRを計算します。
手順は次のとおりです。
- 過去データから、リターンの平均や標準偏差などのパラメータを推定します。
- 仮定した確率分布(例えば正規分布やt分布)に基づき、多数のランダムなリターンを生成します。
- 生成したリターンデータから、信頼水準に対応する分位点をVaRとします。
長所は、データが少なくても安定した推定ができることです。 短所は、仮定した分布がそのまま結果を左右することです。現実のデータと合わない分布を選ぶと、VaRを過小にも過大にも見積もります。
S&P500のリターンは正規分布からどれだけ外れるか
教科書的なモデルではリターンに正規分布を仮定することが多いのですが、実際の市場データは正規分布から外れます。特に分布の裾(テール)が正規分布より厚い、いわゆるファットテールが観察されます。
S&P500の日次リターンで確かめます。

上図は、2019年から2023年までのS&P500の日次リターンのヒストグラム(棒グラフ)と、正規分布およびt分布の確率密度関数を重ねて描画したものです。
分布の中心付近では、正規分布もt分布も実データによく重なっています。差が出るのは裾です。大きな損失が発生する左裾で、正規分布は実際の発生頻度を下回る密度しか与えていません。t分布は裾でも実データに沿っています。
実データに当てはめたt分布の自由度は2.47でした。t分布は自由度が小さいほど裾が厚くなり、自由度が無限大で正規分布に一致します。2.47という値は、S&P500の日次リターンの裾が正規分布よりはるかに厚いこと、つまり正規分布の想定を超える急変(特に下落)が現実には珍しくないことを意味します。
3手法をバックテストで突き合わせる
ここからは、ヒストリカルVaR、正規分布を仮定したモンテカルロVaR、t分布を仮定したモンテカルロVaRの3つを、S&P500の実データで検証します。見るのは、VaRが実際の損失にどの程度の頻度で超過されたか(違反率によるバックテスティング)、年別のVaR推定値、そして市場ストレス時の挙動です。
VaR違反率の比較
各手法で計算したVaRを、実際の損失がどの程度の頻度で超えたか(VaR違反率)を比べます。 信頼水準は95%と99%の2つで検証します。
| 手法 | 95%信頼水準 | 99%信頼水準 |
|---|---|---|
| ヒストリカルVaR | 5.3% (5.0%) | 1.7% (1.0%) |
| モンテカルロVaR(正規分布) | 5.4% (5.0%) | 2.8% (1.0%) |
| モンテカルロVaR(t分布) | 6.1% (5.0%) | 1.7% (1.0%) |
※括弧内は理論値


95%信頼水準では、3手法の違反率に大きな差は見られません。差が開くのは99%信頼水準です。正規分布を仮定したモンテカルロVaRの違反率は2.8%と、理論値1.0%の3倍近くに達しました。正規分布が極端な損失の発生確率を低く見積もっているためです。t分布に替えると違反率は1.7%で、ヒストリカルVaRと同じ値に収まります。
年別のVaR推定値
次に、99%信頼水準のVaR推定値を年別に比較します。
| 年 | ヒストリカルVaR | モンテカルロVaR(正規分布) | モンテカルロVaR(t分布) |
|---|---|---|---|
| 2016 | -2.639% | -2.235% | -2.799% |
| 2017 | -1.515% | -1.197% | -1.850% |
| 2018 | -2.394% | -1.699% | -2.511% |
| 2019 | -2.901% | -2.228% | -3.096% |
| 2020 | -5.848% | -4.187% | -6.702% |
| 2021 | -3.289% | -2.557% | -3.097% |
| 2022 | -3.137% | -2.749% | -2.982% |
| 2023 | -2.829% | -2.767% | -2.977% |
| 2024 | -1.718% | -1.637% | -1.964% |
| 2025 | -2.244% | -1.798% | -2.527% |
正規分布を仮定したモンテカルロVaRは、すべての年で他の2手法より小さい、楽観寄りの推定値になっています。t分布を仮定したモンテカルロVaRは、多くの年でヒストリカルVaRに近いか、より保守的な(VaRが大きい)値です。差がもっとも開いたのは2020年、コロナショックの年です。t分布のVaR(-6.702%)は正規分布(-4.187%)より2.5ポイント以上深く、市場の急落を推定に反映できています。
コロナショック期のVaR推定値
最後に、市場ストレスの局面として2020年2月から4月のコロナショック期間を切り出し、各手法のVaR推定値を比べます。
| 信頼水準 | ヒストリカルVaR | モンテカルロVaR(正規分布) | モンテカルロVaR(t分布) |
|---|---|---|---|
| 95% | -2.140% | -2.293% | -1.577% |
| 99% | -4.711% | -3.254% | -4.589% |
95%信頼水準では、手法間に大きな差はありません。99%信頼水準では、正規分布を仮定したモンテカルロVaR(-3.254%)だけが浅く、ヒストリカルVaR(-4.711%)との差は1.5ポイント近くに広がります。急落局面で必要なリスク量を捕捉できていない状態です。t分布のモンテカルロVaR(-4.589%)はヒストリカルVaRに近く、ストレス時でも推定は崩れていません。
まとめ
S&P500の日次リターンは正規分布より裾が厚く、当てはめたt分布の自由度は2.47でした。この裾の厚さを無視して正規分布でモンテカルロVaRを計算すると、99%信頼水準の違反率は理論値の3倍近くに達し、コロナショックのような急落局面ではVaRそのものを大きく過小評価します。仮定をt分布に替えるだけで、違反率もストレス時の推定値もヒストリカルVaRと同等の水準に戻ります。
ヒストリカルVaRとモンテカルロVaRのどちらが優れているか、という二択では答えが出ません。ヒストリカル法は過去の極端な変動をそのまま織り込めますが、データにない事象は表現できません。モンテカルロ法は少ないデータでも安定する反面、分布の仮定を誤ると結果ごと歪みます。運用中のVaRモデルが正規分布を前提にしているなら、まず保有資産のリターンにt分布を当てはめて自由度を推定するのが手軽な点検になります。自由度が一桁に収まるようなら、99%水準のリスク管理で正規分布の前提を維持する根拠はありません。